アジアの旅2010(3日目-2:世界遺産ワット・プ―観光)

たれ

2010年02月12日 23:24

チャムパーサック到着後、ゲストハウスにチェックインしたオレは、ゲストハウスからチャリを借り、ワット・プ―観光へと出かけた。

とはいっても、町中からワット・プ―までは10K弱あり、灼熱のラオスを今にも壊れそうなチャリで抜けるのは結構キツイものがあった。

ちょっと休憩。水を買う。


やっとのことで到着。


1. 世界遺産ワット・プ―

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ワット・プ―というのはクメール族が築き上げたヒンドゥー寺院の遺跡。
(中略)
3世紀頃、チャムパサック地方はチャム族の国家チャンパ王国の領域で、チャムパサックという地名はその名残ともいわれている。しかし、5世紀にクメール族の真臘(しんろう、またやチェンラ)がこの地を征服。ここを拠点に現在のカンボジアへと勢力を伸ばし、やがて壮大なアンコール遺跡群を築き上げるに至った。
(中略)
このワット・プ―は、カンボジアのアンコールワットができる以前、つまりジャワ的な影響をかなり受けていた前アンコール時代の貴重な遺物ともいえる。
(後略)
(「旅行人ノート メコンの国 第4版」より抜粋)

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つまりワット・プ―はアンコール遺跡より古い時代から築き始められたクメール族の遺跡ということになる。
ということは、現在のラオス人というよりはカンボジア人の祖先が築いた遺跡ということになるのだが、そこは寺院ということで現在のラオス人の信仰対象となっているようだ。

アンコール遺跡群と比べてしまえばシンプルで、こじんまりした遺跡。
(といっても、広いが。。)

門をくぐってすぐ。手前の山の裾野へと遺跡は続いていく。


ガイドブックに、「旅行者はあまりおらず、静か。」と書かれている割には、人や露天が多いな。


ヒンドゥー教の象徴、参道に並ぶリンガ(男根をかたどっている^^;)。


中間部にある南北宮殿(南宮殿)。


本殿へと続く参道沿いには、線香などの物売りが。。。


中間部にある十字型テラス。


十字型テラスから下を見たところ。
(左側が北宮殿、右側が南宮殿)


更に上へと続く。


登っていく。


更に登っていく。


これが、本殿?



レリーフがヒンドゥー教の寺院っぽいね。



ブッダの足跡。


崩れている。


ゴミは片付けようよ!(世界遺産なんだし)


上からは平野が一望できる。


降りて来て飯を食う。



ビア・ラオ缶。世界各国の言語で「ビール」(ピンボケすまん)


このワット・プ―という遺跡。ガイドブックに「人が少なく静か」と書かれている割には、ラオス人の観光客がとても多かった。。。
なんか出店や物売りも多いし。。。

と思っていたのだが、、、その後原因がわかった。

実はこの日、年に一度のワット・プー祭りの週だった。
期せずして祭りにぶち当たってしまったのである。

チャリでの帰り道。


途中であった少年たち。


2. チャムパーサックの夜

ゲストハウスに戻ったオレは、疲れたのでゲストハウス前にある共同のリクライニングチェアーに横になり、メコン河をボーっと眺めていた。

隣の席にいたのはラオス人の青年。

ひとしきり休んだ後、隣の青年に話しかけてみた。

名前は"Kee"、流暢に英語を使う。
見た目は高校生ぐらいかと思ったが、24歳だという。童顔なのか、ラオス人は若く見える。
稚拙な英語ながら、30分ほどいろいろと話をした。

オレがりんご農家だというと、「農薬を使うか?」と聞いてきた。
何でそんなことを聞くのかと聞き返したところ、最近ラオスでも強い農薬を使って野菜を作るが、農家はそれを食べず、全部タイに輸出してしまうのだという。
ホントかウソかは知らないが、そんなようなことを言っていた。
まぁ、最近東南アジアに勢力を伸ばしている中国勢が、そういった強い農薬を、基準が甘いラオスの農家に売りつけて商売している可能性は十分考えられる。あながちウソでもないかもしれない。

Keeがオレに「今夜もワット・プ―に行くの?」と聞く。
オレが「何で?」と聞くと、「お祭りやってるよ」という。
このとき初めてこの日がワット・プ―祭りの日だということに気付いたのだった。


Keeと別れ、もう一度ワット・プ―に行こうか迷いつつも夕食をとることにした。

ゲストハウス付属のレストラン。
(客は、オレの他はフランス人らしき年配の夫婦。)


店の様子。

この暗さ、この人気のなさ、やる気のなさ感がラオスっぽい。

これがラオス名物「鶏肉のラープ(ラープ・カイ)?」


アジアを旅して思うのは、肉がウマい。
まぁ、これはある意味当たり前かもしれない。
というのは、冷蔵庫・冷凍庫が各家庭まで普及していないこの国々では、鳥などは生きたまま売っているし、そもそもその鳥たちは、庭で元気よく放し飼いにされているものである。
元気に育った絞めたてホヤホヤの肉を使うのだから、ウマいのも当たり前だろう。
鳥インフルとかは、気になるけどね。^^;

夕食後、祭りに行くかどうかまだ迷いつつも、とりあえず、もう一度町に出てみた。
すると、予想通りワット・プ―行きのソンテウが声をかけてきた。
「じゃぁ、行くか。」
相変わらず、人任せで優柔不断な人生を送っていると思う。

夜のワット・プ―は、「この田舎町の、一体どこにこんなにラオス人がいたのだ!」というくらいラオス人であふれ返っていた。


組み立て式のメリーゴーランド。


昼間は無かった移動遊園地が、そこには出来上がっていた。
大人も子供も楽しそう。

舞台も何箇所かあって、演奏や演舞が行われていた。



ラオス人によるラオス人のためのお祭り。

そこに外国人が行って楽しいかと言うと???

でも、興味深いもの見せてもらったよ。


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