なぜオレは携帯電話を煩わしいと思うのかを考えてみた。
携帯電話を含め、電話をかけるという行為はすべて、相手の生活に「割込む」行為だと思う。
例えば、電話がかかってきた場合、大抵の場合人はすべての作業を中止して電話をとることになる。電話をとるという作業は、着信音がなった途端にトッププライオリティになる作業なのだ。加えて、携帯ともなると、受ける側の場所を選ばないので更に性質が悪い。
人の人生に無理矢理割り込んでくるとは、なんとずうずうしいことか。。。
それを考えると、まだメールは謙虚である。
なぜなら、メールは相手が読みたいときに読めばよく、返信するかどうかも相手の自由。
電話に比べて思いやりと奥ゆかしさがある。
まぁ、でも最近は仕事のメールなど、返信を強制されている場合も多いのだが。
若い人の間では即レスするのが義務化されているような文化もあるので、そういう面では煩わしさは同じかもしれませんね。
携帯がある生活と無い生活。
どちらが良かったのだろうかと考える。
便利さと煩わしさ。
それが幸福感を与えてくれることもあれば、ストレスの原因になることもある。
そんな中、ひとつ言えることがある。
何だかんだ言っても、一度持ってしまったからには、それを手放すことは至難の業だということ。
こんなオレでさえ、携帯を忘れると不安を感じてしまう。
タバコやアルコール、ドラッグと同じで、携帯には中毒性がある。
良かろうが悪かろうが、携帯はやめられないのだ。
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