おだやかな日

久しぶりにBBCとCNNのサイトを覗いてみると、トップニュースが日本の地震、津波、原発のニュースからリビア情勢へと変わっていた。

まぁ、当たり前か。

BBCもCNNもどちらも関係国だからね。

それにしても、リビアも大変なことになっている。。。


今日は昼ごろから風が強くなり、夕方には雨になった。

昨日はとてもおだやかな一日だったのだけれどね。

昨日、あまりにおだやかだったので、

ちょっくら、


畑で、


寝転がってみました。




気持ち良い。

おだやかな幸せ。


震災に合われた方々にも、こんな日が早く訪れますように。

そして、リビアの人びとにも・・・ね。


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Posted by たれ. at 2011年03月20日22:24

満月に思う

今日は満月なんだねぇ。

電気を消すと、いや、電気を消すからこそ、外が結構明るいってことがよくわかる。



時には電気を消して生活するのも良いのかもしれない。

今のような非常事態が終わった後も、日本全国で計画停電を行ったらどうだろう?

常にそういうものだと思えば、それほど不便も感じなくなるだろう。

いや、、、

やっぱ不便か。^^;

でも、そんなインコンビニエンスな生活も、時にはいいじゃないかい?

そうすれば、電気の使用量も減り、原発も必要なくなり、火力発電所も減らせるんじゃないだろうか?


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Posted by たれ. at 2011年03月19日23:52

震災に思う瞬発力と持久力

僕は災害の専門家ではないし、実際にボランティアに行ったこともないシロウトである。
そんなシロウトが思うことが的を射ているとは思わんが。。。


今回のような震災に対するには瞬発力持久力が必要だと思う。

今、必要なモノやヒトを現地に届けること、そのための輸送手段、燃料、輸送経路の確保などなど。
これらはできるだけ早く瞬発力を持って対応しなくてはいけない。


しかし、それと共に、
復興にはある程度以上の時間がかかってしまうだろうから、そのことを忘れずに継続的な支援を、持久力を持ってし続けることも大切なことだと思う。
人間の記憶というものは、時間が経つと忘れやすくなる。
持久力を持って、復興に対し長期的に支援していくことは簡単ではない。

今この瞬間に、義捐金を送ったからとか、支援物資を送ったからとか、
それはそれで瞬発力として必要なことだし、大切なことなのだが、
それをしたからと言って、自己満足で完結してはいけないだろう。

また、今この瞬間に「何かしたいけど今できることが何もない。」という人がいたとしても、卑屈になる必要性はまったくないと思う。
これから先、持久力をもってやらなくてはいけないことがたくさん出てくるだろうから。

もちろん、今この時に、自分の危険も顧みず瞬発力を持って現地で活躍している人はとてもステキだと思う。
でも、これから持久力を持って復興支援に携わる人だって同様にステキなのだ。

単純に一時的な感情に左右されず、長期的な視野を持って対応する人たちも、こういうときには絶対に必要なのだと思う。


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Posted by たれ. at 2011年03月18日00:36

地震、津波の影響は・・・

夕方家に戻ってからテレビで地震の状況を食い入るように見ています。

被害に遭われたかたに心よりお見舞い申し上げます。

果たしてどの程度の被害になるのだろうか?

第一次産業に携わる者としては特に津波による漁業と農業への影響が気になります。

状況が許せば、災害ボランティアとしてお手伝いに行きたいとも考えています。

ですが、少し落ち着くまではそれも無理でしょう。

落ち着くまでは、しばらく時間がかかるのではないでしょうか。。。


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Posted by たれ. at 2011年03月11日21:38

クマ出没注意!

と言われて、注意して防げるようならば良いのだけれど・・・

今年は特に山のドングリなどが不足して、クマさんも大変な模様。

今日も松本市街地でクマが捕獲。
http://www.shinmai.co.jp/news/20101106/KT101106ASI000002000022.htm

どうやってあんな市内のど真ん中まで来たのだろうか?

そしてまた、ウチの近くでもりんご農家の友達の家のすぐ裏山でクマさんがつかまってしまったとのこと。

行ってみると、、、


檻の中に大きなクマさんが。



山と言っても、

この道を挟んで左がりんご畑で右が山。
りんご畑の中には友人宅があり、右の山に入ってすぐ2、30mほどのところに檻がある。
つまり、普通に生活や仕事をしているすぐ数十メートルのところにクマさんが歩いていたことになる。

クマさんが腹を減らして困っているのもわかるが、人間サイドからみると危なくて仕方ないし、特にそこには普通に子供や老人がいるわけだからなおさらである。
松本市内でも捕獲されていることを考えると、既に山際だけの問題でも無くなって来ている。

ここ最近の気象状況や山の状態を考えると、来年以降もクマが里に現れるというような状況が起きやすくなってくるだろう。

県や市には単なる対症療法ではない、ロングレンジ(クマや人、その他の生態系を考えた対応)、ミドルレンジ(生態系を考えつつも人の安全に早急にできる対応)、ショートレンジ(とにかく人の安全を最優先した対応)で対応方針を明確にした上で、早急に的確な対応をしてもらいたいと願っている。


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Posted by たれ. at 2010年11月06日23:34

携帯電話考(Addicted to mobile)

この記事は「携帯電話考」「携帯電話考(恋愛編)」の続きです。

なぜオレは携帯電話を煩わしいと思うのかを考えてみた。



携帯電話を含め、電話をかけるという行為はすべて、相手の生活に「割込む」行為だと思う。

例えば、電話がかかってきた場合、大抵の場合人はすべての作業を中止して電話をとることになる。電話をとるという作業は、着信音がなった途端にトッププライオリティになる作業なのだ。加えて、携帯ともなると、受ける側の場所を選ばないので更に性質が悪い。

人の人生に無理矢理割り込んでくるとは、なんとずうずうしいことか。。。


それを考えると、まだメールは謙虚である。

なぜなら、メールは相手が読みたいときに読めばよく、返信するかどうかも相手の自由。
電話に比べて思いやりと奥ゆかしさがある。

まぁ、でも最近は仕事のメールなど、返信を強制されている場合も多いのだが。
若い人の間では即レスするのが義務化されているような文化もあるので、そういう面では煩わしさは同じかもしれませんね。

携帯がある生活と無い生活。
どちらが良かったのだろうかと考える。

便利さと煩わしさ。
それが幸福感を与えてくれることもあれば、ストレスの原因になることもある。

そんな中、ひとつ言えることがある。
何だかんだ言っても、一度持ってしまったからには、それを手放すことは至難の業だということ。
こんなオレでさえ、携帯を忘れると不安を感じてしまう。

タバコやアルコール、ドラッグと同じで、携帯には中毒性がある。

良かろうが悪かろうが、携帯はやめられないのだ。


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Posted by たれ. at 2010年10月04日22:53

携帯電話考(恋愛編)

この記事は「携帯電話考」からのつづきです。

別の側面から見てみよう。
恋愛事情において、携帯電話の出現は確かに大きかったかもしれない。



例えば、
携帯が出回る以前は、気になるあの子に電話するとなると、相手が一人暮らしをしている以外は実家に電話しなければならなかった。そして、そこには「誰が出るかわからない」という大きなハードルが横たわっていた。
携帯はそんな彼、彼女の悩みを一気に解消♪
携帯があったおかげで始まった恋も、少なからずあると思う。
(ちなみに、オレは意を決して「気になるあの子」の「携帯」に電話したにもかかわらず、その子の「お父さん」が代わりに携帯に出たという苦い経験を持つ。^^;っていうか「お父さんそれはないよ!」と思った。。。)

また、携帯が無い時代は、混みあった待ち合わせ場所で相手を見つけられないときや、待ち合わせに遅れそうになったときに相手に連絡をとるのに、非常に苦労したものだった。場合によっては、それが原因で破たんしたカップルもいたことだろう。
携帯の出現は、そんな不幸なカップルを救っているのかもしれない。

ということは、
携帯電話が「愛する二人の距離を縮めていてくれる」ということは、確かにあるのだろう。

そういう意味で、愛する二人にとって携帯は「幸せの質」を上げてくれるものなのかもしれないな。

もっともオレはいまだ、その恩恵にあずかっていないのだが・・・^^;

(つづく)


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Posted by たれ. at 2010年10月01日22:09

携帯電話考

最近、携帯電話を煩わしく感じることがある。
もちろん、携帯はオレにとって必要であり、便利で無くてはならないものだ。
でも、煩わしいのだ。



オレが携帯を持ち始めたのは比較的早く、14年ほど前。まだ世の中の半分以上の人が携帯なんて持っていなかったころだ。
当時の携帯は、メール機能なんてついておらず、アドレスリストも番号と名前が登録できるだけ。しかも名前はカタカナのみの登録だった。
それでも、それはオレの生活をものすごく便利なものにしてくれた。
なぜなら、そこそこの町ならばどこにいても、電話がつながるのだから。

実際問題、携帯の出現以来、我々の生活は格段に便利になったと思う。
しかし、その「便利さ」について最近疑問に思うことがある。

「こんなに便利に、効率的になったはずなのに、何だか余計に忙しく感じてしまうのは何故なのだろう・・・?」

良く考えてみると、それは当り前の話だった。

携帯を持ち歩くと、どこでも連絡がとれてしまう。
ということは、それまであきらめていた連絡までとれてしまうということ。
例えば、それまでは「もう夜だから連絡したら家族に迷惑がかかるだろう。」とか「外に出ていてつかまらない。」とか、そういう理由で「仕方ないね」とあきらめられることがあったし、また連絡する側も、そういう理由を「仕方がない」と受け入れられる心の余裕あった。
しかし、携帯を皆が持っている今はそうはいかない。

結果的に「(お客様への)サービス」という面では格段に向上したのだろう。
仕事の質は上がったのかもしれない。
友達とのコミュニケーションもしやすくなっただろう。
プライベートでも便利になったことは数え切れないほどある。

しかし、いままで「しょうがないですね。」とあきらめることができたことがあきらめられなくなり、その結果、我々の生活をより忙しくしてしてしまったとも言えるのではないだろうか。

オレは思う。

仕事の質は確かに上がったかもしれない。
便利にもなった。
ただ、それで我々の「幸せの質」は本当に上がったのだろうか?

(つづく)


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Posted by たれ. at 2010年10月01日00:14