朝10時にパークセーの町を出て、昼過ぎに世界遺産ワット・プーの町、チャムパーサックについた。
パクセーからチャムパーサックまでは、バスが出ているというので、バス乗り場に行ってみると、何のことはない、ただのソンテウ(乗り合いバス)が山のようにとまっていた。
「チャムパーサック、チャムパーサック」と叫ぶおっさんの後についてソンテウに乗り込む。
出発時刻の1時間ほど前に乗り込んだのだが、そのころには子供がひとり乗っているだけだった。
ところが、出発時刻が近づくにつれ、あれよあれよと人が乗り込み、、、っていうか、「どう考えてももうこれ以上乗れないだろう。」とオレが感じて以降、10人以上は乗り込んだ。
この国に、定員オーバーという言葉はないようだ。
もっともラオス人にしてみれば、殺人的な通勤ラッシュのある国の人間にそんなことは言われたくないかもしれないが。
ちなみに外国人はオレだけのようだ。
定刻の10時を過ぎてからもさらに何人か乗客を詰め込んだ後、ソンテウは出発した。
ソンテウは、いわばトラックの荷台に座席をつけ、屋根をつけたもの。
屋根の上には荷物が載っている。
途中、屋根の上から鶏の鳴き声が聞こえてきた。
オレのリュックは、鶏と一緒にのっているようだ。
途中メコン河を渡る。
橋はない。
どうするのかと思ったら、大きなはしけがやってきて、車ごとそれに乗り込んだ。
ということで、何とか無事にチャムパーサックに到着。
空いていたゲストハウスに荷物を置き、チャリでワット・プーを見に行った。
この遺跡、世界遺産という割には、それほど大きなものではない。
系としては、ベトナムのミーソン遺跡や、カンボジアのアンコールワット同様、ヒンドゥーと仏教の混ざった感じのもののようだが、
アンコールワットに比べれば、見所的にかなり少ない。
しかし、歴史はアンコールよりも相当古いものになる。
遺跡には、その交通の不便さからか、世界遺産の割りには外国人の姿は多くなく、ラオス人観光客で混み合っていた。
もう少し遺跡の保護と、ゴミの片付け、交通の整備ができれば、外国人も呼び込めると思うのだが、まだそこまでには至っていないようだ。
それにしても、遺跡まで約10Kのチャリは結構堪えた。
こちら、日本の夏のような暑さである。
明日は、ここからさらにラオスを南下し、シーパンドーンというメコンの中洲の島へと移動する予定。